あんぼるで

HSPとかジェンダーとかオタクとか。

「褒められる」ということ。

些細な事ではあるのだが、

まぁ基本的に俺は些細な事こそいちいち引っかかってズブズブに考察を練ってしまうのだけど、それはまぁまぁ置いといて。

 

〜テイク2〜

 

些細な事ではあるのだが、

それこそ些細な事を大仰に褒められるのが苦手なんだよね。

誰かを褒めるのは好きなんだよなぁ。

ベタ褒めしたい系。

 

 

思い返せば、そうね。

流しに食器が溜まってたとする。

それがふと目について食器を洗う。

すると父親が

 

「なんだ、そんな事できるんだなお前」

 

と、ニヤニヤしながら言いました。

それ以来父親の前で食器を洗うのがとても苦手になり、なんなら二度と洗わなくなりました。

 

 

こんな感じなんだけど。

ここらへん拗らせた結果の褒められ嫌いだと思っている。

馬鹿にされてるような。

見下されてるような。

憐れまれてるような。

自分にとっては珍しい事でも、普通で当たり前のことをやった時に思いがけず褒められると二度とやりたくなくなる。

 

どんな拗らせ方してんだと我ながら。

 

すごい悪循環が生じてんだわ。

そーゆーこと言われんの嫌だからもうやらんってなるわけ。

で、たまーに気まぐれでやったら珍しい光景になっちゃうわけ。

したら「おっ珍しい事してんな」って反応されるわけ。

で、そーゆーこと言われんの嫌だからもうやらんって振り出しに戻ってエンドレス。

言われたくないならルーティン化してしまえばいいだけなんだけど、そこまでマメじゃないから結局ルーティンには至らない。

で、結果。

普通の事しただけでえらく反応される。

言葉によっては褒めてるという行為。

偉いじゃん!とか言われる始末。

 

しぬほど…!!苦痛だ…!!(血の涙)

 

 

努力を努力として認められたくないのかなぁ、という節もあるんだよな。

水面のアヒルのように。

水中ではめっちゃ足バタバタさせてるけれどそれが気付かれることはない、みたいな。

そうで在りたいと思ってる節は正直ある。

でもそしたら馬鹿らしくなりそうだとも思う。

一生懸命やったことを褒め称えられずに

「できて当たり前やん」

とか言われたら、それはそれで二度とやらんってなるハズなんだよ。

そしたら俺はどしたらええねん。

どうされたら満足すんねん。

本当に我ながら手に負えない。

無駄に高いプライドのせいなのだろう。

褒められてるのに見下されてる気分になるってなんだそら。あほかいな。あほやでぇぇぇ!

 

拗らせに拗らせた中年は本当にタチが悪いってお話。

小5の甥は固い肉とかスジが飲み込めないのだけど、最近なんとか飲み込めるようになってきた。

頑張って飲み込めばママがすげぇ褒める。

それに対してとっても嬉しそうにエヘエヘする小5。

咀嚼して飲み込むなんて当たり前で普通の事なんだけど。

わざとらしい位に褒めちぎる大人と、嬉しそうな子供。

 

ああ、こーゆーのが正解なんだろうな。

 

俺はどこで間違っちゃったんだろうな。

「こう」でなければ「ならない」

強迫観念とでも言うのだろうか、自分は自分に枷をつけたがる。

 

ブログが続かねぇなぁ!

つーかなんにも続かねぇなぁ!

マダオマダオ

 

こうであるべき、とか。

こうでなければならない、とか。

そーゆー決め事を勝手に枷として装着し、それが叶わなければ俺は更に己を見下す。

なんか見下す為につけてんの?とか思う。

 

出来るわけないのに。

そんなの分かり切ってる事なのに。

 

それでも俺は恐らく「なんとか出来る奴だ」という希望に似た願望でもって己に枷をつけてゆくのだ。

 

 

いや、できないからね!?!?

 

見ろやブログの放置っぷりを!

どんだけ自分に夢見てんねん!

正真正銘マダオやぞ!

 

も少し気楽でもいいと許してあげなければブログすらままならんのだわ。

言いたいことも、話したいことも、吐き出したいことも、山盛りある。

妙な枷で雁字搦めになってないで、も少し自由にしてみてもいいんじゃねーの?

って、俺は俺にそう思うよ。

 

適度に記していきまっしょーい

戒めよう、己を

ごきげんよう。ぼん人です。

すっかりデッサン挨拶をしなくなって久しい。

いやそもそもブログを毎日書かなくなって久しい。

いやいやそもそも毎日なんて書いてなかったじゃんねって話。

やる気はあるんだよなぁ…ほんとに…やる気だけはあるの…行動に伴ってないだけで…

 

後回しの人生。

 

思い起こせば小学生。

夏休みの宿題。

いつも最終日に泣きながらやってたなぁ。。

カーチャンに怒られながらやってたなぁ。。

 

「だから言ったでしょう!」

「なんでこうなるのわかっててやらないの!?」

 

俺が聞きてぇよ。

 

いやほんと。まじで。何で俺やらないの?

すげぇ後悔するとか理解してんだよ。罪悪感もずっと抱えてる。それでも尚やらないのは何故なのか。

 

めんどくさい…それに尽きるんだ…

 

 

わたしはわたしの感情や欲望に忠実すぎるんですよね。

そう言うと我慢や忍耐とも縁がなさそうに聞こえるけれど、決してそうとも言い切れぬもので。

いわゆる天秤です。天秤にかけるの。

自分の「やりたくない」と、自分の「やらなければならない」の、重さをね。

例えば、どんなにやりたくなくても「やらなければならない」が重ければやるんだよ。そこには我慢や忍耐が確実に存在している。

 

「できない」じゃねぇ。

「やらない」なんだ。

 

 

己の意思を決定するのは何かと問えば、己に他ならないと思ってるわけです。

置かれてる環境や状況が、要因の1つとなり得ても、それは文字通り要因の「1つ」でしかないわけ。

どんな状況下においても、やるかやらないかを問い、答えを出すのは自分なの。自分なのよ!アンダスタン!?

そこで例えば「やりたくてもやれる状況じゃねぇんだよ!!!」って俺がキレてたとしよう。で、仕方ないからやらないを選択するわけじゃん。原因と決定は別物なんだよ。

 

原因と、決定は、別物、なんだよ

 

大事なことなので2回、尚且つ太字で言うたったぞ。アンダスタン?アンダスターン??

 

そんな、己の戒めブログでした。

お粗末。

「つもり」という罠

気持ちが。たるんでおる。体もだが。

体もだが!?!?

どうしたら痩せられるのかと思うけど、そもそも食事に気を付けてないし運動してないし規則正しい生活を心掛けてもいないので、「どうしたら」なんて言うまでもない明白な理由がありました。知ってた。

 

ごきげんよう。ぼん人です。

9月になりました。

世の中の学生さんたちは新学期です。

なので自分も心機一転しなきゃなぁと思います。

思うだけならタダだもんね。

って俺が俺の揚げ足をとってくる。なんだこのやろー!!やってやんぞばかやろー!!

 

 

事故の決着がついてないので早く決着をつけねばならない。

壊れた愛車はつい先日ようやく我がもとに戻ってきてくれました。

会いたかったよミニたん。とっても綺麗になったね。おれ今まで以上にお前のこと大事にするよ。これからもよろしくね。

で、事故の決着をつけよう。明日にでも。

おれ…決着ついたら厄落としの意味も込めてちゃんとブログに記すんだ…

 

 

運転に慣れきってるつもりはないけれど、やはりどこかで「つもり」になってしまってる部分はあるのだと思う。

事故なんて起こさないに越したことはないけれど、たるみきった己の運転に対する気を引き締めるキッカケにはなるんだよね。

「かもしれない運転」の心は今でも持ち合わせているし、事故が起こらないとは限らないと常に思いながら運転をしている。…つもり。

 

「つもり」ってこわいよね!!

何がこわいって自分が「つもり」になってしまってることに気付けない所がね!!

運転に限らず全てに言えることなのよ!!

 

感謝してる。

気を付けてる。

頑張ってる。

 

 

……それ

「つもり」に

なってませんか?

 

今回のパターンは事故だったけれど、本当に全てにおいて言えること。

そしてそれは「何か」が起こってはじめて、改めて気付くことが多いと思うのよね。

逆を言えば何かが起こらないと気付けないと言うこと。

色んな事が言えるけど、特に俺は感謝を忘れたくないと思ってるんだよ。

何に対して、とか、具体的な事は特にないけど。

でっかく言うたら「生きていられることに感謝」とか?

でっけぇな!いいね!俺はでっけぇ人間になりてぇ!

 

ご飯が美味しいなぁ、とか。

今日も楽しかったなぁ、とか。

クーラー涼しいなぁ、とか。

スマホ便利だなぁ、とか。

 

もう本当にね、大きなことから小さなことまで。

いつでも感謝を忘れない人間でありたいと思ってるわけですよ。

それがね「感謝してるつもりだった」になってたら、こんなに悲しく虚しい事はない。

 

事故は肯定しない。絶対しない。

マイナスな事柄なんて、起こらないに越したことはない。それは絶対なのだけれど。

難儀なもので、不幸がなければ幸を実感できなかったりするんだよね。

不健康になってはじめて健康の有り難みが身に染みたり。

失ってはじめてどれだけ大事だったのかが身に染みたり。

するのだよ。

 

なんとも愛すべき生物だよね、人間って。

マイノリティに対する生産性発言

ないよね。

 

って真顔で応える俺だよ。

 

こんばんは。ぼん人です。

デッサン描く気力もないぼん人です。夏にやられる。もうやめて。ぼん人のライフはゼロよ。

 

 

ツイッター覗くと気分が悪くなるのであまり見ないようにしてるのですが、題名の通り生産性の話題。

批判やら炎上やらで叩き叩かれしてますね。元気だな。その(無駄な)元気をオラにわけてくれ。オラもっと楽しいことに活かしてやっぞ。

 

マイノリティ当事者なのにイマイチ当事者になりきれてないような、そんな俯瞰なわたくしでございますが。

むしろ俯瞰だから言えることなのかもしれませんが。

 

生産性、ないよね。

 

ないだろ。感情論じゃなくて現実論の話だよ。

感情論で言うなれば、そら傷付く人もいるだろう。だって何より自分が自分に対してそう思ってるだろうから。

人間ってね、蓋をして見ないようにしてる痛いところを突かれると…つまり図星をさされると、逆上するんですよ。防衛本能なのかしらね。

心のヤワい所で「自分はあかんやつや」と自己否定していて、心の強い所で「そんなん言うたらあかん」と自己肯定している、そんなせめぎ合い。なんともナイーブな場所なのです。

そんなナイーブを抱えて生きていれば、誰かに否定されりゃ深く傷つき、あるいは強く反発するのだろう。そんなことない!そんなことない!つって。

いわゆる「弱点」ってやつなのだと思う。

例えば自己肯定が単なる言い聞かせではなく、真に心からのものであれば。

誰かに何か否定的なことを言われても「ほーん。で?」と鼻のひとつもホジれると思うのよ。自分が「そう」だと思っていなければ「なんとも的外れなこと言ってら」で完結できる。

 

スルーできないのは、何故?

 

心当たりが、あるのかな?

 

 

ひとえに自信のなさなのかなと思う。

自分を信じられない。そらそうだ。

「普通」が普通であるこの世の中で、どうやって「普通じゃない」自分を信じられると言うのだろう。何度も何度も、「普通」を目の当たりにするたび、何度も何度も、「ああ、違ってんのは俺か」と思い知らされる世界だよ。

マイノリティを抱える己をどうやって信じたらいいんだろうね。途方に暮れるよ。

 

 

なんていう、時期は、とうに、過ぎた。

おれ、熟れた、おっさん、だもの。

 

そんな青臭い時もあったから分かるんだよ!分かるんだけどね!あくまでも「現実論」の話だよ。

生産性あるか?と問われれば、ないだろと応える。自虐でも卑屈でもない。現実で、事実。

 

ほんとにさー!税にゆとりがあるならさー!ほんと子供育ててる家庭を助けてあげてよ!まじでまじで!大変だよまじで!俺にはできないし!やりたくないし!それをきちんと頑張ってこなしてるんだもん超えらいじゃん!超絶えらいじゃん!家庭を築く人間まじリスペクトー!

 

俺はさー。あくまで「俺は」の話だけどさー。マイノリティの人間としてさー。言うけどさー。

 

べつに助けてくれなくて結構なので。

放っといてもらえますかね。

つかナゼ助けてもらわなにゃならんのですか。

税やら補助やら、国のナニガシかで保障してもろたら俺のマイノリティがどうにかなるんすか。

国に保障してもろたー!良かったー!俺のマイノリティ救われたー!

って……なる?ならんのだよなぁ…

俺がLGBT活動をどこか他人事のように俯瞰してるのもそこなんだよなぁ。

他人に認めてもらったら俺のマイノリティが何か変わるの?

逆に、他人に認めてもらえなかったら俺のマイノリティが何か変わるの?

俺は俺でしかない。他人の享受や認知なんかあってもなくてもいい。誰に認めてもらえなくたって、俺の事実は変わらない。

 

 

 

ただまぁ言葉が悪かったんだろうね。

「生産性がない」だもんなぁ。

あれだろ。結局デリカシー的なやつだろ。

ナイーブな事柄だからさ。事実をバシっとストレートに言うたらあかんねや。

ハゲ指差して「髪がない」なんて言うたらあかんねや。

シーッ!やで。シーッ!!!

そんな誰が見てもわかる事わざわざ口にするなんて!はしたない!お里が知れますよ!

ってなもんよ。

 

まぁ俺は、あえて口にしない事わざわざ口にする人間とか大好物だけどな。おもしろいじゃん。そんなん言う!?って飛び出た目ンたま転がしながら己も笑い転げるわ。ぽんぽんイターイぽんぽんイターイ!なるわ。

真にデリカシーない相手ってね、つまりこちらもデリカシー気にしないでいられるからとっても気楽なのよ。

ただ自分はデリカシーない癖に他人のデリカシーにはとやかく言い出す、無自覚なnotデリカシー人間は吐くほどきらい。

 

 

まぁまぁアレよ。

楽しんだもん勝ちやで!!

現実の裏側とか。

こんばんは。ぼん人です。もうデッサンを描いてる時間がない。

 

 

クーラーなくて夏を越せると思いますか?俺は思わん。思わんぞ。今年なんか特にそうだろうが。夏が殺しに来てる。俺を。

そんな夏の現実から逃避しようとすれば事故に巻き込まれる始末だよ。なんだ?俺が何かしたか?日頃の行いが悪いとでも言いたいの?否定はできないけどね?

まあ愛車は可哀想な事になりつつも私自身にはケガひとつなく。不幸中の幸い。日頃の行いが良いのか悪いのか。

で、ずっとヘソ曲げてました。なんなら現在進行形ですよ。ヘソ曲げingですよ。まげんぐ。おれへそまげんぐ。

 

それが7月以降ずっとブログ更新しなかった理由なのでありました。ずっとヘソ曲げてたからね!はははハハハハハHAHAHA!

 

…別に書かなくてもいっかと思ってたんだけどやっぱ記録として残しておこうかなと思い直しまして。

あんま触れたくないというか、事故なんてそんないいもんじゃないからさ。なんつーか驚くほど誰も幸せになれない。

世の中って、人の織り成す事柄が混ざり合って交差しあって影響しあって、そしてそれが個人や世界の歴史となってゆくのだろうと思っているのですが。

そこに不幸と呼ばれるものが鎮座してても、きっと小さな幸せだって、目を凝らさなきゃわからないレベルだったとしても、少なからず存在してるはずなのだと思っているのですが。

事故に巻き込まれて思った。

 

本当に誰も幸せにならない事柄って存在するのね!!!

 

 

いや、綺麗事じゃなく真面目に思ってたの本当にさ。

誰も1人も報われないなんてことある?

例えば世界規模で言ったら戦争とかあるけど、視点を変えればやっぱ潤う側面ってものがあるっちゃあるわけじゃないですか。

そこには不幸ばかりが蔓延しているから断固として戦争などは拒絶したいのココロですが、誰かしらの何かしらが潤ったり報われたりしている現実もあるんだ。とても歯がゆく悲しい事だけど、それが抗えぬ事実なのだろう。

自然災害も更に規模が大きくなるが、やはり不幸の裏には別視点で生じる何かしらの「幸」があったりする。

だから…

 

 

いま書いてて気付いたけど、その理論でいったら事故もそれに含まれるのではないか。

誰も幸せにならない事柄だと思っていたけれど、先述の理論に当てはめれば、裏で潤う人間もたしかに存在している。

保険屋さんとか…

 

 

……わぁ……

 

 

ちょっとビックリしました。

気付かなかった。

おるやん。

幸せに(と呼べるか微妙な所だがまぁまぁ)なれる人おるやん。

おったわ。なんだよ。良かった。

 

いや全然よくないけど!!!!

全然よくないけどさぁ!!!!

 

なんかちょっと心が軽くなった。

悲しい切ないだけではなくて良かったです。

良かったとか口が避けても言いたくないけど。

 

もう二度とごめんですマジで。。

愛車が戻ってくるのをひたすら待ちます。。

あと日頃の行いをもっと気を付けます。。

「やれない」と「やらない」を一緒にしちゃあかんわ


f:id:hspftx:20180811044614j:image
日付的にもっとわたしの書いた記事が増えててもいいはずなのだけれどおかしいなおかしいな。

 

予定は未定って本当ですよね。

元来「予定をたてる」という行為がどうにも不得手なのですよ。守れなかった時のフラストレーションが半端なくて。

ブログもそうなのですが「毎日書くぞ!」って決めたら毎日書かないとダメなんですよ。1日でも空いたら

「はーい終わり~はいもう終了~おれダメ人間決定~滅せよ~おれ滅せよ~」

ってなる。1日くらいセーフ!とはならない。

 

じゃあ毎日やればいいジャン?ってなるジャン??

 

やんねぇんだよ。

やんねぇの俺。掟は破る為にあるのかな?って、某マンガの実写映画版サブタイトル並にやらない。

ムダに完璧主義の癖して、完璧にやれない。やらない。

この現実がわたしを非常に苛立たせるのだ。

 

計画を立てて計画通りに動ける人って、どのような脳の構造なのです??俺は何故それが出来ないのです??

 

マンガを描くスタンスにも通ずるものがあるのだけれど、なんか妙な所で妥協が許せないのだと思う。まぁいっか!が出来ない。

性格的にわりと得意な方なんですよ「まぁいっか」するのは。

でもそれって結局「自分のこと限定」なのよね。

誰かや何かが関わっていて、己に責任というものが生じた途端「まぁいっか」を俺が俺に許してくれなくなるのです。

例えばこのブログが俺にしか見えない鍵つきダイアリーだったのなら、こうはならない。それならそもそも毎日書こうとも思わないだろうしな。

「発信」にカテゴライズするのであれば、マンガもそう。Twitterもそう。

いつも描いてる落書きのようなマンガは、誰かに見せる前提じゃないからそりゃもう自由気ままに描きなぐっている。デッサン狂ってようが、なに言ってるのかわからなかろうが、話にまとまりや繋がりがなかろうが、お構い無しよ。

それが誰かに見せるという前提になった途端に、妥協許さないマンが現れるんだよね。

 

で、結果、「できない」と。

 

ダメジャン!!!!!

 

ダメじゃん何いってんのダメダメまじでそんなん。

言い訳だよね。できない自分に対する言い訳。もっともらしい理由があれば「じゃあ仕方ないか」って思えるからだろう。良くないね。良くないよ。

どんなに正当な理由があっても結果が「できない」ならそんなの糞だ。ただの糞。…そこまで言わなくてもいいじゃない…?

 

ハードルあげたり枷をつけたり、それで出来なくなっちゃ本末転倒よ。「俺はもっと出来るはずなんだ!」っていう自己期待の裏返しみたいなもんだから決して悪いことではないのだろうけど。

いや、おれ、できねぇから。

 

そう俺は。

 

出来ないヤツなんだ。

 

 

クズな自分も自分と認めて、可能な範囲で気張らず適度にやってこうずぇ~。なんくるないさぁ~。なんくるないさぁ~。

 

 

うるさいよ。ちゃんと反省はしましょう。

自責はいらんが自省は大事なんやで!!