戒めよう、己を
ごきげんよう。ぼん人です。
すっかりデッサン挨拶をしなくなって久しい。
いやそもそもブログを毎日書かなくなって久しい。
いやいやそもそも毎日なんて書いてなかったじゃんねって話。
やる気はあるんだよなぁ…ほんとに…やる気だけはあるの…行動に伴ってないだけで…
後回しの人生。
思い起こせば小学生。
夏休みの宿題。
いつも最終日に泣きながらやってたなぁ。。
カーチャンに怒られながらやってたなぁ。。
「だから言ったでしょう!」
「なんでこうなるのわかっててやらないの!?」
俺が聞きてぇよ。
いやほんと。まじで。何で俺やらないの?
すげぇ後悔するとか理解してんだよ。罪悪感もずっと抱えてる。それでも尚やらないのは何故なのか。
めんどくさい…それに尽きるんだ…
わたしはわたしの感情や欲望に忠実すぎるんですよね。
そう言うと我慢や忍耐とも縁がなさそうに聞こえるけれど、決してそうとも言い切れぬもので。
いわゆる天秤です。天秤にかけるの。
自分の「やりたくない」と、自分の「やらなければならない」の、重さをね。
例えば、どんなにやりたくなくても「やらなければならない」が重ければやるんだよ。そこには我慢や忍耐が確実に存在している。
「できない」じゃねぇ。
「やらない」なんだ。
己の意思を決定するのは何かと問えば、己に他ならないと思ってるわけです。
置かれてる環境や状況が、要因の1つとなり得ても、それは文字通り要因の「1つ」でしかないわけ。
どんな状況下においても、やるかやらないかを問い、答えを出すのは自分なの。自分なのよ!アンダスタン!?
そこで例えば「やりたくてもやれる状況じゃねぇんだよ!!!」って俺がキレてたとしよう。で、仕方ないからやらないを選択するわけじゃん。原因と決定は別物なんだよ。
原因と、決定は、別物、なんだよ
大事なことなので2回、尚且つ太字で言うたったぞ。アンダスタン?アンダスターン??
そんな、己の戒めブログでした。
お粗末。