あんぼるで

HSPとかジェンダーとかオタクとか。

現実の裏側とか。

こんばんは。ぼん人です。もうデッサンを描いてる時間がない。

 

 

クーラーなくて夏を越せると思いますか?俺は思わん。思わんぞ。今年なんか特にそうだろうが。夏が殺しに来てる。俺を。

そんな夏の現実から逃避しようとすれば事故に巻き込まれる始末だよ。なんだ?俺が何かしたか?日頃の行いが悪いとでも言いたいの?否定はできないけどね?

まあ愛車は可哀想な事になりつつも私自身にはケガひとつなく。不幸中の幸い。日頃の行いが良いのか悪いのか。

で、ずっとヘソ曲げてました。なんなら現在進行形ですよ。ヘソ曲げingですよ。まげんぐ。おれへそまげんぐ。

 

それが7月以降ずっとブログ更新しなかった理由なのでありました。ずっとヘソ曲げてたからね!はははハハハハハHAHAHA!

 

…別に書かなくてもいっかと思ってたんだけどやっぱ記録として残しておこうかなと思い直しまして。

あんま触れたくないというか、事故なんてそんないいもんじゃないからさ。なんつーか驚くほど誰も幸せになれない。

世の中って、人の織り成す事柄が混ざり合って交差しあって影響しあって、そしてそれが個人や世界の歴史となってゆくのだろうと思っているのですが。

そこに不幸と呼ばれるものが鎮座してても、きっと小さな幸せだって、目を凝らさなきゃわからないレベルだったとしても、少なからず存在してるはずなのだと思っているのですが。

事故に巻き込まれて思った。

 

本当に誰も幸せにならない事柄って存在するのね!!!

 

 

いや、綺麗事じゃなく真面目に思ってたの本当にさ。

誰も1人も報われないなんてことある?

例えば世界規模で言ったら戦争とかあるけど、視点を変えればやっぱ潤う側面ってものがあるっちゃあるわけじゃないですか。

そこには不幸ばかりが蔓延しているから断固として戦争などは拒絶したいのココロですが、誰かしらの何かしらが潤ったり報われたりしている現実もあるんだ。とても歯がゆく悲しい事だけど、それが抗えぬ事実なのだろう。

自然災害も更に規模が大きくなるが、やはり不幸の裏には別視点で生じる何かしらの「幸」があったりする。

だから…

 

 

いま書いてて気付いたけど、その理論でいったら事故もそれに含まれるのではないか。

誰も幸せにならない事柄だと思っていたけれど、先述の理論に当てはめれば、裏で潤う人間もたしかに存在している。

保険屋さんとか…

 

 

……わぁ……

 

 

ちょっとビックリしました。

気付かなかった。

おるやん。

幸せに(と呼べるか微妙な所だがまぁまぁ)なれる人おるやん。

おったわ。なんだよ。良かった。

 

いや全然よくないけど!!!!

全然よくないけどさぁ!!!!

 

なんかちょっと心が軽くなった。

悲しい切ないだけではなくて良かったです。

良かったとか口が避けても言いたくないけど。

 

もう二度とごめんですマジで。。

愛車が戻ってくるのをひたすら待ちます。。

あと日頃の行いをもっと気を付けます。。

「やれない」と「やらない」を一緒にしちゃあかんわ


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日付的にもっとわたしの書いた記事が増えててもいいはずなのだけれどおかしいなおかしいな。

 

予定は未定って本当ですよね。

元来「予定をたてる」という行為がどうにも不得手なのですよ。守れなかった時のフラストレーションが半端なくて。

ブログもそうなのですが「毎日書くぞ!」って決めたら毎日書かないとダメなんですよ。1日でも空いたら

「はーい終わり~はいもう終了~おれダメ人間決定~滅せよ~おれ滅せよ~」

ってなる。1日くらいセーフ!とはならない。

 

じゃあ毎日やればいいジャン?ってなるジャン??

 

やんねぇんだよ。

やんねぇの俺。掟は破る為にあるのかな?って、某マンガの実写映画版サブタイトル並にやらない。

ムダに完璧主義の癖して、完璧にやれない。やらない。

この現実がわたしを非常に苛立たせるのだ。

 

計画を立てて計画通りに動ける人って、どのような脳の構造なのです??俺は何故それが出来ないのです??

 

マンガを描くスタンスにも通ずるものがあるのだけれど、なんか妙な所で妥協が許せないのだと思う。まぁいっか!が出来ない。

性格的にわりと得意な方なんですよ「まぁいっか」するのは。

でもそれって結局「自分のこと限定」なのよね。

誰かや何かが関わっていて、己に責任というものが生じた途端「まぁいっか」を俺が俺に許してくれなくなるのです。

例えばこのブログが俺にしか見えない鍵つきダイアリーだったのなら、こうはならない。それならそもそも毎日書こうとも思わないだろうしな。

「発信」にカテゴライズするのであれば、マンガもそう。Twitterもそう。

いつも描いてる落書きのようなマンガは、誰かに見せる前提じゃないからそりゃもう自由気ままに描きなぐっている。デッサン狂ってようが、なに言ってるのかわからなかろうが、話にまとまりや繋がりがなかろうが、お構い無しよ。

それが誰かに見せるという前提になった途端に、妥協許さないマンが現れるんだよね。

 

で、結果、「できない」と。

 

ダメジャン!!!!!

 

ダメじゃん何いってんのダメダメまじでそんなん。

言い訳だよね。できない自分に対する言い訳。もっともらしい理由があれば「じゃあ仕方ないか」って思えるからだろう。良くないね。良くないよ。

どんなに正当な理由があっても結果が「できない」ならそんなの糞だ。ただの糞。…そこまで言わなくてもいいじゃない…?

 

ハードルあげたり枷をつけたり、それで出来なくなっちゃ本末転倒よ。「俺はもっと出来るはずなんだ!」っていう自己期待の裏返しみたいなもんだから決して悪いことではないのだろうけど。

いや、おれ、できねぇから。

 

そう俺は。

 

出来ないヤツなんだ。

 

 

クズな自分も自分と認めて、可能な範囲で気張らず適度にやってこうずぇ~。なんくるないさぁ~。なんくるないさぁ~。

 

 

うるさいよ。ちゃんと反省はしましょう。

自責はいらんが自省は大事なんやで!!

「考える」とは何かを考える

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色々ブログをまさぐろうと、ブログのノウハウ的な勉強をしていたらまた三日坊主になっていたブログがこちらです。

有言不実行はんぱない。

わかっていた。わかっていた事なのだ。我は有言すると不実行率が上がるのだ。我は不言実行型なのだ。…………嘘だよ!不言不実行型だよ!つまり実行できない子ってだけだよ!宣言しようがしまいが!単に実行できない子ってだけなんだよつらい。泣きたい。俺はちゃんとした大人になりたい。

 

とりあえずカッコイイおしゃんブログにするには圧倒的知識の足りなさが露呈されたので、それはそれ、これはこれで、ひとまず何でもないブログでもとりあえずは毎日綴れよと俺は俺に思いました。内容が…ないよう!

 

基本的に脳が暇してる日々を送っているので、自分の頭の中には常に言葉が溢れているのですよ。ブログを書こうと決めたら尚更活発になってね。脳が。

でもね、これホント自分あるあるなんだけど、結局なに考えてたか忘れちゃうの。

すっげぇ言葉や思想や思考が脳内を駆け巡ってるのが常で、ふと我にかえったり現実に引き戻されたりすると忘れる。めっちゃ何かを考えてた、なんなら「お、これはブログに書こう」と考えてた事まで覚えている。でもそれが何だったかまでは覚えてないんだよバカかな?バカなのかな???

うるせぇ俺はバカじゃねぇ。ちょっと頭が弱いだけだ。

 

これマンガのネタ出しと同じ感覚なのよね。ネタ出しっつーか…なんだろう。ちょっとこの感覚を言語化すんのとても難しそうだからぜひ言語化にチャレンジしてみようと思う。ブログって…イイネ!文字制限なしスバラシイ。

 

俺が漫画を描く時はストーリーよりキャラ重視で、キャラが勝手に動くから漫画になるって感じ。だから基本的に垂れ流しと言うか流れるような作業で、頭が働いてない状態。考えるでもなく考えてる状態。おお!!!これ!!!これだ!!!とても難しそうと言ったのにわりと簡単に言語化できたわ!!これよこれ!!!!

考えるでもなく考えている!!!

ブログもそう。何を書こうとか考えてない。そう!俺ってなんも考えてないんです!うるせぇ!考えとるわ!めっちゃ考えて生きとるわ!

いや真面目に。ホントこれ。基本的に「考えよう」と思って考えてない。気が付くと考えてるとでも言おうか…つか「考」ゲシュタルト崩壊してるわ今ハハハ( ´∀`)ウケル

思い付き?いや…行き当たりばったり?

うん、行き当たりばったり。「行き当たりばったり」が近いかも。なんか感覚的なんだよな。物事が感覚的。

え、あれ?これ意外と奥深くない?俺いま凄く奥深いこと言ってない?思考と感覚ってイコールか?俺ノットイコールだと思ってたけどもしかしてイコール?イコールなの?

 

整理しよう。何を言ってるのかわかんなくなってきた。いつものことだけど。つーか俺がいつも何を言ってるのかわかんなくなってくるのも、考えようと思って考えてるわけじゃないからなのかもしれない。

わあヤバイ。ヤバイ楽しくなってキタヨ…!!

これぞ「当たり前」を当たり前に思いすぎて「何故」を考える必要もなくなってるってゆー、絶好の例ジャナイデスカ!俺が普段からギリギリしてるやつー!

 

ここでちょいと考察してみたい。

考えようと思って考えてる人ってどれくらい存在するんだろう。悩み事とか。

「忘れようと思ってもいつの間にか考えちゃってる…!アタシのバカバカ…!忘れたいのに…!」

みたいな感覚は誰にでもあるよね?たぶん。

なら例えば会話だとどうだろう。「よし次はこれを言うぞ!」なんて思いながら会話なんてしてないよね?え?してないよね?知らんけど。そんなん他人に確認したことないもん。

じゃあ更にブログは?Twitterとか。作文で例えてみてもいいかもしれない。「何を書こうかなぁ」とか「なんて書こうかなぁ」って考えて書くものなのか?わからん。俺は完全に違うけど他はわからん。

更に更に自分の場合「マンガは?」ってゆーのも出てくるのだ。

全てにおいて言えるのは「俺はなんも考えてねぇな」ってことだ。おお…….おお…!!おもろい!!!おもろいぞコレ!!コレって人によって違うのかな!?おもろい!聞いてみたい!おもろい!脳内キラキラしてきたキラキラ~~!!

 

 まぁ「他の人」は置いといて。

 

少なくとも己は「やろうと思ってやってる」つまり「考えて何かする」って事がない。ここにきて驚きの新事実。俺ってそうだったの…!?ってなってる。

俺、こんなに、こんなに、常に脳フル稼働してるのに。何も考えてない時がないって位に考えてるのに。これって俺の意思ではなかったのか。わあ。わああ。

そう、それは、まるで、呼吸。

呼吸って勝手にしてるもんね!「息をしよう」なんて思いながら呼吸してる人なんていないもんね!それと一緒だ!一緒やんオモロー!なんて面白い事実に気付いてしまったんだろう人間オモロー!

 

とか…すげぇキャッキャしてるけど実は…実はこの事実すら自分が普段なんも考えてないから気付かなかったってだけの話だったらどうしよう…実は誰もが当たり前に知ってる現実で…それに気付いてない俺がただのアホってだけの話だったらどうしよう…

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完全思い付きで始めたブログ

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ブログとかホントやり方イマイチ分からなくて、ただ己の掃き溜めみたいな使い方でいっか~みたいな感じでやってるのだが。

今日ね、色んな方々のはてなブログ回ってみたんだ。そしたらすごいの!すごいのね!プロかな!?ってなったよすっげええええ!

俺もあんな風におしゃんブログ書きたいわ!

引用とか埋め込みとか使ってんのかな!?リンク貼ったり!?見出しとかついてて段落分けとか章分けみたいになってて超絶見やすいのすっげええええ!カコイイ!カコイイヨ!カコイイネ!

プロかな!?ってよりプロかよ!!ってなったマジデー。

 

個人ブログぱねえ。

 

なんかブログってさ、俺は「日記」ってイメージだったんだわ。違うじゃん。記事じゃん。もはや記事じゃん。個人ブログってゆー記事を発行してる記者じゃん???

なんかすごい勉強になったよ。

 

 

俺はどうにもあまのじゃくで、ヘソ曲がりで、歩幅を合わせるという行為にムズムズしてしまって、「いま流行りの~」みたいなもの全てに唾を吐きかけるレベルの、まるでリアル15の夜でね。生きる15の夜。

まぁただのこじらせおっさんだけど。いや俺おっさんじゃねーけど。

そんでもやっぱ「普通が正義」なこの世界で、叩き込まれた価値観でもって、意識するでもなく「普通で在ろう精神」が働くわけだ。

 えーとちょっと待って…前置きが長すぎて何を言わんとしてたのか…

 

そうそう、だからね、今ならSNSとかさ。そーゆーのに手を出してみたりもするのよ。でもしょせん理由は「みんなやってるし」みたいな集団的自意識でさ。本当にやりたくてやってる?って自問しちゃうやつ。

で、ある時ふといや、俺コレ別に特にやりたくねぇわ」ってなって続かなくなった代表例がTwitter。やってる人達みんな楽しそうだし。俺も楽しいと思ってた。知らない人達と繋がれるし。便利だし。つって。

しかし内へ内へと籠る体質の己は、他者に向かって何か発信するという行為がイマイチ得意ではなく。

リアルタイムで「○○なう」(古い)とか絶対やりたくない。自分がどこで何をしてるのかなんて誰かに知られたくない。なんなら友人知人に「そーいやアイツ生きてんのか?」って時々は思い出して下さい私が喜びます程度がいい。ひっそり生きたい。わたしはかいになりたい。

そしたらTwitterもこのブログのような内容になってくわけよ。いわゆる掃き溜め。毎日何か呟くでもなく、ふと思い付いた内省的な諸々をつらつら書き連ねる。140文字で。140文字。

いや足りねぇよ。

そりゃそうなるわ。なんだ140文字って。つらつら書き連ねるからタイムライン俺で埋まるわ。アホかよ。簡潔に述べられるほど賢くねぇよ。

で、日記を書いてみる。が、手が疲れる。当たり前の事なのだろうが文字を書いてれば手が疲れる。めんどくせぇってなる。なるなよ。

きっと俺ブログなら向いてるかも?って話がしたかったんだ長ぇよ!ホントつらつら書き連ねるよね長い!俺の!話は!結論までが!本当に!長い!

 

だからと言うかなんと言うか、単なる日記みたいな感慨で始めたブログだったんだけどもね。いろいろなブログに触れたら「あ、違うな」って。自己満ブログもそれはそれで俺的に悪くはないのだが。違う。

 

俺もあんな風にブログ書きたい!

 

これに尽きる。もう。もうまじでこれ。俺もっとちゃんとブログ運営したい。いや、する。俺もあんな風になりたい。いや、なる。なるんだYO!!!

俺の座右の銘は「為せば成る!為さねば成らぬ!何事も!」なので!

後に続く句は武田信玄版でも上杉鷹山版でもどちらでもいいです。どちらも好きです。

 

いえ実際は「明日は明日の風がふく」です。俺の座右の銘。でも「なせばなる~…」もすごく好きだよ。「楽しんだもん勝ち」も好き。この3つのどれかが俺の座右の銘NANOSA!ケースバイケース!フッフゥ~俺って柔軟~

 

ただ、本当に、わたしは、「発信する」という行為が、とことん、とことん、苦手、なので。

その克服の意味も込めて。

 

目標ができた。嬉しいな!俺の人生がもっとも~っと豊かになるぞやったぜ!やったんぜー! 

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「ふつうってなあに」とか言っちゃう青臭さ

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「普通」についてよく考える。マイノリティとマジョリティという言葉にとても揺さぶられる。

なんかね「当たり前」を当たり前に思いすぎてない?って思うんだ。「普通」を普通に思うあまり疑問を持つことすらしないんだ。「これが普通」と説明されて「なんでこれが普通と言えるの?」なんて考えもしない。「そーゆーもんだよ」と言われて「そーゆーもんか」と完結してしまう。何故なのか?

だってそれが「普通」だからね!

…こういう話をしようとすると、本当に回りくどい表現しか出来なくていやになるな。もっと簡潔に!わかりやすく!出来ないものか!出来ないね!俺は頭が弱いからね!うるせえよ。

自分が「普通側に立ててないこと」を前提に物事を考える。自分としてはそんなつもり毛頭ないけれど、まぁまぁそれは置いといて。う~ん世知辛ぁ~~い

例えばセクシャル。普通を普通と思うあまり「何でそれが普通なのか」を思う必要もないんだなぁと実感する例がこちら。

 

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これっすよ!!

これ!!!!!!!

それが普通なのは知ってるよ?じゃあ何でそれが普通なのかまでお前は説明できんのか?ってゆー話デスヨ!!!

俺に同性も好きになる理由を聞くのならお前も異性しか好きにならない理由を述べよ。述べられっか?述べらんねーだろ?

だってそれが「普通」だからーーー!!!

 

「俺の普通」と「他人の普通」が違うってだけの話なんだけどさ。

異性間恋愛が普通だから俺に「なぜ」を聞いてくるのだろうが、それ俺の世界で変換したら「異性しか好きにならないお前って普通じゃねえな」って言ってるようなもんだろ。わかる?言ってることわかる?俺は時々自分がなに言ってっか分かんなくなる時あるけどね!今がまさにそうだよパルプンテ

強いて言うなら「生物学的に」とか「本能として」みたいな話だろ。そうやって事実論でもって理解してるってだけの話でしょうよ。でもね。でもさ。デモデモダッテサ!「こいつは異性だな。ならば好きになろう」つって誰かを好きになんの?俺だって「こいつは同性だな。ならば好きになろう」つって誰かを好きになった事なんかねぇんだよ。なんなら「何で同性まで好きになってんだ何なんだ俺は何者なんだ」って思うよ。思うさ!俺だって「普通が当たり前」界の住人だもの…っ!

生物学的に、種族繁栄・子孫繁栄の為に、異性を好きになるのが「普通」なのよ。生物学的に。そう。生物学的にね。「生物学的に」言いたいだけマシーン。

ただね、好きって感情論じゃん?なんつーか感覚的なもんじゃん?「生物学的にそれが普通だから」って理由しか持たないやつに「何で異性しか好きにならないのか」を聞いて答えられるものかしら。「それが普通だから」としか言えんやろ。感覚的な説明として、それと同じと思って欲しい。

普通だからってさ!普通であることの説明をしないで済んでるってだけでさ!普通じゃない側が当たり前に「普通じゃないこと」を説明できると思うなよナメんな!こちとら頭弱いんじゃ!頭弱いナメんな!

好きだな~と思った人間が同性だっただけですよそれ以上のなにものでもねぇわ好きになる感覚なんてお前と同じだわ理由などない!!!

 

「普通」っていいよね~「それが普通だから」と言えば理由になるんだもの~「普通じゃない」は「普通じゃないこと」に理由を持たないといけないの納得できねぇわ~「俺にとってはこれが普通」つっても通用しないの納得できねぇわ~説明できないと「アリエナイ」つって切り捨てられんの納得できねぇわ~

「有り得ない」「それは普通じゃない」と切り捨てるならせめて「なんでそれが普通と言えるのか」を説明できるようになってからにしてくれてもいいじゃんよ~民主主義ぃ~数の暴力ぅ~

 

マジョリティにヘソ曲げてるマイノリティの図でした。おそまつさまでした。

別に常にヘソ曲げて吠えてるワケちゃうよ!!

ときどき仮想敵に対してワッと感情の波スイッチがONになるだけで基本的にはどうでもいい。世界が微妙に別なんだ。お互いがお互いに理解できるとは思ってない。世界が微妙に別ってのはアレだ。英語圏と日本語圏の違いみたいなもんだ。

不可侵でよくね?と思う。わかれよ!ってゆー押し付けも押し付けられも嫌いだもん。そんなん誰だってそうだろう。

ただ、そう。英語圏と日本語圏みたいな、些細な違いでしかないからな。使用言語が違うだけで意思疎通がまったく出来ないワケじゃないのと同じで。どうにかこうにかすれば分かり合えると思ってしまう。そりゃ分かり合える人は分かり合えるだろうよ。ボディランゲージしてでも互いに分かり合おうとしてるのであればな。

いつの間にか「分からせてやる」になっちゃうのは寂しいもんだ。ええやん。分かろうが分かるまいが。嫌悪しようがしまいが。別モンなんだししゃーないやん。とか思うんだけどダメかなあ。そっちのが争いなき優しい世界だと思うけどな。寛容だの不寛容だのと。それこそあって「当たり前」じゃねぇのにんげんだもの

「そーゆー世界もあるんだね」ってゆー相互認知程度でいいんじゃないかとおっさんは思うよ俺おっさんじゃねーけどな!!

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みっかぼーず


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自分にビックリするよね。

毎日投稿したかった…!

毎日投稿続けたかった…!

3日て!3日!3日しか続かんて!

 

3日しか続かないてすごい。

3日坊主すごい。本当にあるんだね。

 

まじで頑張れよ俺!ってなりました。

【X】ってゆー第三の性

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昨日の日記でチラと触れたセクシャルマイノリティ。その中でもXという「性別」に触れたわけだが、それについて語りたし。

 

Xと言ってもまたその中で3つに分かれたりするんだZ!世の中は「男」と「女」で成立するわけだが、それの「どちらでもない」という無性型X、「どちらでもある」という両性型X、そして「なんとも言えない」という中性型X。

すごい。すごくない?なんかこう…すごい(語彙力)

エーここまで細かく分類してくれるんだーっていう「すごい」と、ここまで細かく分類されるほどの性別が存在するんだーっていう「すごい」で、なんかゴチャっとなる。頭が。心も。なんか精神的にゴチャっとなる。ゴチャっつーか…メニョっ…ボファっ…………みたいな(語彙力)なんかソワっとするんだよなぁ〜よく分かんないけどケツのあたりが。…ケツがソワソワって色んな誤解を招きそうな表現だね。

まぁでもこんな多様性に富んだ表現ができるようになったのもここ最近の事…じゃないかもしれない。俺が色々知り始めたのが遅かっただけかもしれない。そうかもしれないしそうじゃないかもしれない。かもしれない運転。大事ですよ「かもしれない運転」

疑え!世を疑え!世の全てを疑え!それは本当なのか!それは正しいのか!

「信じるものは救われる」ならば「疑う」も信じなきゃダメなんじゃね?のパラドックス

真実は本当にいつもひとつですか?

私は…わたしはなにが言いたかったんでした?我にかえろう。脱線が過ぎるぞぉぉ

 

なんつーかメンヘラってやつ?

メンヘラっていう認知が邪魔をする。

「普通じゃない」ってイコール「おかしい」で、ほぼほぼ「メンヘラ」とイコールなんだよね。へんなこと言ってりゃ「病んでんなぁ」でおしまいよ自他ともに。「お前病んでんなぁ」「そう俺病んでんだわ」でおしまい。

俺がおかしいってのは理解してる上に納得までしてる。だから細かいとこスルーして全てをすっ飛ばして「精神的にアレな人」ってところに着地すれば大体の事が説明つく。

「普通じゃない」ってそういうこと。

俺には術がなくて「自分がおかしい」と思うくらいしか出来なくて、だからはじめてXというジェンダーを知った時に

ふぁぁぁぁぁぁぁ!?!?!?!

ってなったよね。おるんや!!こんなアホみたいなこと言ってるやつ他にもおるんや!!って…いやディスじゃないディスじゃない。

 

IS(インターセクシャル)のように、もはや遺伝子レベルで性別がどっちでもあると言うのであればまた話は別なんだけど。科学的根拠ってやつがね。あればね。

「精神的なもの」とか、いわゆる心や感情と呼ばれる「目で認識できないもの」、確かなのに不確かな存在っていうのは証明が難しい。自分でさえ見えないもん。そんなんどうやって他人に見せられる?「気のせいだろう」とか「思い込みだろう」で片付けられてしまうのも無理ねぇのだわ。ましてやこの世に存在してないセクシャリティなんぞ。

ただ、まぁ、こーゆーの仕方ないにしてもさ。例えほとんどの人間の中で「ありえない」だったとしても自分の中では確実に「あり得る」なの。それだけが絶対の真実なのです。

真実は!いつも!ひとつ!

 

…とは限らない。と、俺は思ってたりするけどな。

自分の中の「確実にあり得る」もさぁ〜「絶対の真実」もさぁ〜果たして果たしてぇ〜果たして本当にぃ~ほんとのほんとにぃ~「本当」なのかしらねぇ〜

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